By Benjamin Speckien ベン スペキーン (よしひで)
訳 8 年生のとき、高校で習う外国語を決めなければならなかった。人気があったのはおきまりのスペイン語、フランス語、ドイツ語であった。僕は日本語をとりたいと思った。まったく違っていたし、本物の日本人の先生が日本語クラスを教えていたからである。
それから 4 年間、日本の文化と日本語を学んだ。日本文化の中には、お面をかぶった人に豆をぶつけるとか、お風呂とか奇妙に思われものもあったし、また、高校生活や食べ物などのように、かなり興味を引くものもあった。しかし実際に飛行機を降りて日の昇る国に入ってみると、どのような準備をしてきたとしても、何も役に立たなかったろう。
小さな車、狭い通り、雑踏、煌煌と輝く明かり、ごみやゴミ箱がないこと、漢字ばかり、奇妙な英語、こうしたことで頭がくらくらした。この違いは僕たちが大都会に慣れていないからとか、あるいは外国だったからとは言いがたい。両方すこしずつあるように思える。
僕はどこに行っても人々が親切なので驚いた。ホストファミリーは僕をわがままに育った孫のように扱った。食べたい物はなんでも作ってくれたし、たくさんのプレゼントを買ってくれた。思い上がらないようにすることが難しかった。見知らぬ人でも、行く先を教えてくれるのに 10 分も遠回りしてくれた。バス停で二人
の声の大きい子供をつれたご婦人は僕たちが時刻表をじっと見詰めているのを見て、何かお手伝いしましょうかと声をかけてくれた。僕たちが日本語で答えると、彼女の顔には大きな笑みが浮かんだ。そのとき僕は日本語を選択し、懸命に勉
強してよかったと思った。
この旅行で一番よかったのは、誰とでも座って話をしようとしたことである。難
しかったけれども、僕たちはいつも考え方が共通するようになり、いいたいことをなんとか分かってもらえるようになった。
日本は本当に楽しかったし、もう一度行きたいと思う。冬の日本を見たいし、沖縄にも行きたい。ホストファミリーをもう一度訪ねてみたい。僕の家族に一緒に日本へいってみようよと話してみようか。
庄和町国際交流協会にはすべての点で、本当に素晴らしい仕事をしていただいた。こころから感謝したい。