By Meghan Stelzig メガン スタルジック(もえ)

 

私は日本語クラスに入ったその年から、日本に行くことに期待で胸が膨らんでいた。 4 年間待ち遠しかったのである。しかし実際に行く段になると、すこし心配になってきた。一緒に行くみんなについてすこし不安になった。私はみんなと一緒に 4 年間日本語の授業を受けたけれども、誰ともそれほど親しくはならなかった。それほど親しくない人々と地球の裏側にまで行くことに、少し不安があった。一緒に行く人々をよく知らないことに加えて、私は私の国の言葉さえ話さない見知らぬ人々に取り囲まれようとしていたのである。 4 年間日本語を勉強してきたけれども、自分自身日本語に堪能になったなどとは思っていない。

 

私の不安にもかかわらず、空港でみんなと会い日本に向けて出発する頃には、この素晴らしい機会に期待するようになっていた。空港にいるだけで、誰もがわれを忘れ興奮しており、私たちみんなが楽しい時間をすごしていた。私は日本に着いたらもっと楽しくなるのではないかと思った。

 

始めは一緒に行く人々に対する不安があったが、日本に到着すると、ホストファミリーという新しい不安が待っていた。私はこの人たちの家に本当に泊まらなければならないのか。英語を話す人々との気楽さから離れて、見知らぬ人々、特に意思の疎通ができるとはまったく思えそうもない人の家に滞在などしたくなかった。

 

私がこのような見知らぬホストファミリーのところにホームステイすることに不安を感じていただけにかえって、旅行の経験は最高そのものであった。私は見知らぬホストファミリーでのホームステイが断然好きになった。最初に会ったときは、お互いにぎこちなかったが、次の町に移動する段になると、私は去りがたくなった。それぞれのホストファミリーは私がホームステイしたことを非常に喜び、私の国のことを知りたがった。私が驚いたことに私自身のことも同じように知りたがっていたことである。予想もしていないことだった。私はあの人たちがアメリカから誰かを受け入れなかったならば知ることができなかったと思われるアメリカの内側をあの人たちに教えたのではないかと思っている。一方ホストファミリーの人たちも日本の内側を私に見せてくれたと思う。ホストファミリーがいなかったならば、私は頭では日本の普通のティーンエージャーが友達と何をしているのか知ったとしても、実際に経験することはできなかっただろう。そしてその経験は非常に印象的であった。

 

私はまた私が訪れたすべての観光地が好きになった。私は清水寺の(えんむすびの神様)や大仏などさまざまなお寺を見るのが好きになった。御所の庭や大阪城を散策したのもよかった。私は自分たちがやったことはみんな好きになったが、それは日本の観光客ならやっていたことである。私はそれが本当に素晴らしいと思った。

 

私はこれまで書いてきたことはみな好きだったけれども、断然よかったのは広島に行ったことである。私の国が日本に対して行ったことについて、もっと多くを、しかも日本で学んだことは本当に素晴らしい何かがあった。歴史の本でしか読んだことのない場所に立っているということが私を捉えて放さなかった。私はあの原爆ドームの写真を何枚も撮りまくったと思う。悲しい場所ではあったが、興味は尽きなかった。私は、時間さえあれば、あと 2 時間は記念館の中で過ごすことができたと思う。私たちが平和公園を歩くことができたのも嬉しかった。天候のせいでおそらく駄目だろうと思われていたのができたのである。嬉しかった。私は、私たちが平和公園を見ることができなかったなら、私たちの旅行の重要な部分がすっぽりと抜け落ち、残念に思ったのではないかと本当に思っている。

 

今回の旅行では、まったく予想もしなかったことが問題になった。ホームシックにかかったのである。私は行くところがたくさんあって、家のことを思い出す時間などまったくないだろうと考えていた。私は朝ごはんを口にできなくなったし、眠れなくなった。友達や家族がいないのでとても寂しくなった。友達がみんなスペインにいるということがこれに輪をかけたとは思わない。ただ、友達が海外で自分たちに近い人々と素晴らしい旅行を経験していることが少し羨ましかったのだろう。結局私は 2 週間の間におそらく我が家に 4 回か 5 回電話したと思う。私はまたインターネットを利用して、地元の友達にイーメールを送った。電話やイーメールはとても助かった。私はホームシックにかかったけれども、旅行には影響がないようにした。私は素晴らしい時間を過ごしたのである。

 

何よりも、今回の経験は素晴らしかった。私は、これほどさまざまなことができたなどとはとても信じることができない。先生がわずか 2 千ドルでこのような経験を味わわせてくれたことに驚嘆している。先生の大変な仕事に心から感謝している。私は何度も日本に行きたいと思う。私には他のクラスの海外旅行が私たちに比べてどの程度であったか分からないけれども、私は大学でも日本語を勉強し、そうした機会を得たいと思う。素晴らしい思い出を作ってくれた皆さんありがとう。

 



These pages made by Nagai sensei, August 2003